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旅の目的

旅の目的、単にインドのヨガを知りたいというのもあったのですが、3年前ほど前に出会ったチベット瞑想の本に魅了されて、チベット文化を肌で感じてみたいと思いました。

「心が安らぐ チベット瞑想入門」ラマ・クリスティー・マクナリー著 桶谷省吾訳 春秋社

この旅はすでに半分の2週間を終えたのですが、すでに不思議な出会いが溢れています。

チベット人の死に対する考え方も大変興味深いです。

私は、この旅に出る直前、叔母を癌で亡くしました。
出発前でやるべきとこが日に日に増えていく中、ふと母親に電話をしようと思い、久しぶりに電話をしたら、黙っていたけど叔母が危篤であるとのこと。
叔母は奈良に住んでいるので、いつでも会いに行けたはずなのになかなか足を運ばなかった自分にとてもいらだちました。唯一予定が空いていたその週末の日曜の午後、お見舞いに行くから!と母に告げ電話を切りました。
週末まで数日、それまでどうかもって!と心の中で祈りました。
しかし、その願いもむなしく、前日土曜日のお昼に叔母はこの世を去りました。
お見舞いに行こうとしていたその時間、私はお通夜に参加していました。



以下、本の抜粋です。

「壊れたもの」

チベット人は、「私たちは壊れた世界に住んでいる」といいます。
壊れたとは何を意味しているのでしょうか?
まず、人生が決してハッピーエンドで終わるものではないと実感したときのことを考えてみてください。
それは、愛する叔母さんがガンに罹り、回復の見込みがないことを知った時でしょうか。
心から愛した人がほかの誰かを好きになり、去っていった日でしょうか。
いずれにせよ、誰もだ人生に一度はこうした失望感を抱くものです。
私たちの生は、苦痛に満ちています。

誰もがつかの間の幸福としても手に入れようと必死になり、手に入れたならそれを離すまいと強く握り締めます。
しかし、私たちが最後の息を引き取る死の瞬間には、愛したすべてのものが私たちから離れていきます。
誰もがそのことを知っています。
たとえ束の間の幸福でも私たちの手から零れ落ちてしまう。実際にそれを手に入れてもまだ人は満足しないのです。

私たちが生きている現実世界の宿命的な裂け目を、私たちの手で修復できるとしたらどうでしょうか。
喜びの瞬間を永遠のものとする方法、人生の終焉にあっても愛するものを失うことのない方法。。。

チベット人にとって、これが瞑想の目指すところなのだといいます。

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私には、この意味がまだまだ理解出来ていませんが、ヨガから学んだこととリンクしている部分があります。
この旅で少しずつ感じていけたらと思います。


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